11/6~8の3日間の戦争を振り返ってみました。結論から言うと、「勝てた戦争だったにもかかわらず、采配の判断ミスの連続で、全面敗北となった」というものでした。その経験から得られたことも含めて、少し整理してみました。

経過概要

11/6 18時頃
開戦

予定していた時刻になった途端に開戦となります。予想していたとおりに、まずは前日に相手軍が制圧した関所・臨品から南下して攻めてきました。ただ、ここで1つ目の判断ミスをしています。相手軍の目標が南陽郡制圧だと予測していたので、臨品が主戦場と考えていました。これは、この後の経過でわかりますが、明確に間違いでした。

11/6 20時頃
均陵を奪われる

ここがポイントでした。南陽郡の専守防衛の方針から、上庸郡への関所である均陵を与えても良いという方針でした。ここにも大きな判断ミスがありました。南陽郡を守るということであっても、関所という要所をみすみす相手に与えることは下策でありました。結局、今後の攻防は、この均陵を奪われたことでより一層厳しくなります。

ここでは、西側に建設していた関所を、相手の同盟軍に攻められていることが心情的にも受け身にさせられました。「もう上庸はあきらめないといけないかな」、こんなネガティブな思考が、どんどんと受け身な姿勢となっていった気がします。

11/6 21時30分
臨品への反攻

均陵を攻められているときに、ようやく相手の陽動作戦(臨品に引きつけ、均陵を攻略する)に気付きますが、すでに時遅しでした。こちらの同盟軍と臨品への反攻を決めますが、準備に時間を要し、侵攻を開始できたときには、相手は均陵を攻略し、臨品へ移動していたので、備え十分でした。

それでもこちらから臨品へ総攻撃をしかけ、手前の関所は奪うことができましたが、相手軍の関所を越えての遠隔攻撃にこちらの相当の被害があり、時間を40分ほど要したので、奥の関所攻略は不可能と判断して、やむなく撤退することになりました。

相手が均陵を攻略中に、臨品へ侵攻していれば、奪取できたかもしれません。その可能性は大いにあったと思います。同時に、均陵も奪われなかったかもしれない。つまり、約1時間の対応の遅れが、戦局を大きくこちらに不利なものとしました。

11/7 20時頃
作戦失敗

2日目は前日の受け身の姿勢を改めようと、22時からの臨品への2度目の侵攻を予定していました。こちらの日常的な攻城戦が時刻に合わせてアクティブ率を高める狙いでしたが、これも判断ミスです。通常時と戦時を一緒に考えていた思考であり、これが2日目の敗戦の原因となります。

こちらは、臨品へ部隊を送っていたので、均陵は手薄な状態でした。それも、相手は臨品に主力を置いていると判断していたからです。どこか、今日は均陵からは攻めてこないだろうと考えていたかもしれません。

しかし、相手が何枚も上手でした。こちらが困るように、均陵に相当数の部隊が侵攻してきました。全軍で迎撃すれば1日目の臨品のように迎撃は対応可能だったのですが、ここではそのような体制でなかったので、均陵関所前の部隊と施設が壊滅的被害を受けます。

11/7 21時頃
同時攻撃に対応できず

相手は間髪入れずに、臨品に集まりつつある部隊に対して、総攻撃をかけてきました。同盟軍が全軍対応で迎撃してくれたのですが、こちらの部隊は、22時で連絡していたことから、対応に十分な数がいませんでした。

臨品の迎撃対応は一応、勝利することにはなりましたが、この戦闘で壊滅的な兵損があり、前日の激戦からの資源不足もあり、この日の臨品攻略作戦は中止となります。

ここでも、同時進行で相手の同盟軍が上庸城を攻められます。このことがさらに状況を悪くすることになります。均陵に配置していた部隊の一部を上庸城の防衛に回したことで、均陵は迎撃できる状態ではなくなりました。

11/7 23時頃
上庸郡を失う

上庸城は多少の援軍を送ったところで防衛できるわけがありません。城を失い、手薄になった均陵関所前は部隊全滅、要塞などの施設も全壊、つまり、上庸郡を実質的には失うことになりました。

11/8 昼間
内郷陥落

こちらの陣営は昼間のアクティブ率が低く、そこを狙って内郷を攻められて、陥落することになったようでした。これは前日の敗戦の影響によるものであり、相手の巧者ぶりにただ脱帽といった感じでした。

11/8 21時
内郷奪還

こうなると一矢報いたいと、内郷奪還に全軍を投入します。臨品での小競り合いは続いていましたが、これまでの動向から、南陽郡内に侵攻してこないということはわかっていたので、臨品は同盟軍に任せて対応しました。

内郷への侵攻はこれまた22時の予定だったのですが、21時から丹陽城への相手軍の侵攻があったので、急遽作戦変更して、直ちに内郷への攻略を開始しました。

11/8 24時頃
最後の戦い

内郷奪還は、通常の関所Lv.1の攻城戦のようなものでしたが、その攻略に時間を要したので、上庸側の相手設備の破壊はできませんでした。丹陽城を落とした後、内郷に戻ってきた相手軍と野戦になりましたが、内郷に撤退せざるを得ませんでした。

お互いに、徴兵で軍備を整えて、時間的にも最後の関所攻防戦に臨みました。これまでの経験から関所内に矢塔を建設して相手軍の足止めを狙いますが、最終的には総力に勝った相手軍の猛攻撃に徐々に防衛ラインが下がり、未明には内郷を再度奪われることになりました。

相手軍の内郷総攻撃


11/9 2時
完敗で終戦

ほぼ全ての攻防戦で敗戦を繰り返し、上庸郡と関係する関所を全て奪われて、終戦となりました。すべての作戦が後手にまわり、正に完敗でした。

戦評

戦力は数的には劣っていましたが、質的には互角以上だったと思われます。それにも関わらず、完敗という結果になったのは、作戦負けということでした。

最初に作戦を考える時に、相手の立場を考慮せずに、ネガティブな思考に基づいたといのが、すべての失敗の元凶でした。これは「弱者の思考」であり、それではどういった場面での勝てるものも勝てません・・・

一方で、相手軍は攻めるという心情的に優位な立場ではありますが、反攻に対する懸念も持ちながら、上庸郡の制圧という最適な作戦を立てて、それを達成するために陽動作戦など必要な手を打ってきました。これは「強者の心理」に基づくものであり、最悪でも負けないというものでした。

守るという場合においても、『攻撃は最大の防御なり』が鉄則であるということを実感しました。それには「強者の心理」が必要であり、第1日目の臨品への侵攻を1時間早く決断できていれば、最終的な結果は大きく違い、上庸郡を完全に失うことにならなかったのではないかと思います。