(ぎしょう) 

生没年不詳。秦の政治家・将軍。元は魏の将軍であるが、張儀と同じ時期に秦に入り、恵文王に仕えて、庶長・丞相となる。

紀元前313
楚・懐王の命で屈匄が率いる楚軍は於中を猛然と攻撃し、柱国・景翠を将とした軍が韓の雍氏を包囲していた。秦・恵文王から命を受けて於中へ救援として派遣される。
紀元前312
秦軍を率いて韓の連衡して、丹陽にて屈匄が率いる楚軍と交戦して、これを撃破し。8万の楚兵の首を斬り、大将の屈匄ら70余名の将を捕らえた。屈匄は処刑され、この勝利に乗じて、漢中の地六百里を奪取し、漢中郡を設置した。(丹陽・藍田の戦い)
紀元前310
秦・恵文王の崩御後に太子・嬴蕩が武王として即位するが、太子時代から不仲であったので、誅殺を恐れて秦を去り、魏に向かう。

これ以降の事績は記録に残っていない。