(りし) 

楚の北部にある上蔡(現在:河南省駐馬店市上蔡県)の出身で、秦の宰相、法家の実務の完成者とされる。法家を思想的基盤に置き、度量衡の統一、焚書坑儒などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後に宦官・趙高との権力争いに敗れ、処刑される。

紀元前237
嘆願書『諫逐客書』を出して、秦王・嬴政に追放令(逐客令)を撤回させる。
追放令(逐客令)

他国出身者の嫪毐の反乱を起こしたために、秦の国内で他国出身者の評判が低下して出された。

諫逐客書

秦が商軮や張儀のような他国出身者の力を借りて勢力を伸ばした事を理路整然と説いた名文。

紀元前
共に荀子から学んだ同門である韓非が秦に向かい入れられるが、自分の地位を危うくさせる存在であることから、換言により投獄させ、毒を渡して有無も言わせずに自殺させる。
紀元前
秦の統一後、周の制度である封建制を採り入れ、公子達を各地の王として封じるように進言する丞相・王綰や御史大夫・馮劫ら重臣らに猛反発し、集権統治の強い郡県制への移行を説く。
紀元前
自らの法家思想と対立する学問に対し、大規模な思想弾圧を実施し、儒学を含めた思想書を集めて焼却する(焚書)。また、盧生の逃亡から始まる告発により、罪を犯した学者を数百人規模で逮捕し、生き埋めにして殺害する(坑儒)。
紀元前210
始皇帝が巡幸の道中で崩御、宦官・趙高と共に偽詔を作成し、始皇帝の末子で暗愚な胡亥を二世皇帝として即位させ、太子であった扶蘇を自決に追い込む。
紀元前208
趙高が捏造した容疑(楚の項梁の軍勢に討ち取られた長男の李由が生前楚軍と内通していたという罪)で捉えられ、処刑される。

キングダム登場人物との関連

秦国文官(呂氏四柱) 李斯

厳格なる法の番人。

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