(そしん) 

東周の洛邑の出身で、中国戦国時代の弁論家。張儀と並んで縦横家の代表人物であり、諸国を遊説して、合従策が一戦も交えずに秦に対抗する策だと説き、国防費の増大に悩む各国に受け入れられ、六国の宰相を兼任する。

紀元前
斉に行き、張儀と共に鬼谷子に師事し、縦横の術を学ぶ。
紀元前
数年間諸国を放浪し、困窮して帰郷する。親族にも嘲笑されたので、発奮して相手を説得する方法を作り出す。
紀元前
周・慎靚王に近づこうとしたが、王の側近らに信用されず、失敗。
紀元前
秦・武王に進言したが、商鞅の死刑で弁舌の士を敬遠していた時期のため受け入れられなかった。
紀元前
燕・昭王に進言して趙との同盟を成立させる。
紀元前
韓・魏・斉・楚の王を説いて回り、秦を除いた六国の間に同盟を成立させ、六国の宰相を兼任する。韓・襄王を「鶏口となるも牛後となることなかれ」と説く。
紀元前
趙に帰った後、粛侯から武安君に封じられ、同盟の約定書を秦に送り、その後15年間、東へ進攻させない。
紀元前
合従解体後、燕に仕えるが国内で立場が悪くなったので、斉へ移る。
紀元前284?
斉・湣王に取り立てられる。そのため対立者により暗殺される。