(こうあつ/しゅんしんくん)
楚の政治家。戦国四君の一人。考烈王を擁立し、国勢の傾いた楚を立て直した。王族の出ではなく、庶民の出身であり、若い頃は諸国を回って見聞を広めた。
紀元前274
楚・頃襄王の命を受けて、秦・昭襄王に上書し、強国である秦と楚が争っても互いに傷つき、弱い韓や魏の利になるだけと説き、和平を取り付ける。
紀元前276
楚は和平の証として、太子完(後の考烈王)を人質として秦に送り、黄歇は侍従となる。
紀元前264
楚・頃襄王が病に倒れると、太子完を密かに楚へ帰国させ、自ら秦に残る。昭襄王の怒りを買うが、秦宰相・范雎のとりなしもあり、代わりの人質に太子完の弟である公子顛(昌文君)が秦に入る。
3ヶ月後に、太子完が即位し、楚・考烈王となる。
この功績を認められ、令伊に任ぜられ、淮北12県を与えられ、春申君と号した。食客3,000人を集め、その中には荀子もいた。
紀元前258
趙首都・邯鄲が秦軍によって包囲され、平原君が救援を求めてきたので、これに応えて援軍を出し、邯鄲の包囲を解いて、秦軍を撤退させる。
紀元前248
斉に接する重要な土地である淮北の代わりに江東を貰い、かつての呉の城を自らの居城とする。この後、軍勢を動員して、魯を滅ぼす。
『戦国策』によると趙の上卿・虞卿による献策であり、王族からの妬みや政治的影響を逸らすため、首都から遠い地に封地を遷したと伝わる。
紀元前241
楚・趙・魏・韓・燕の五国合従軍を率いて、秦を攻めるが、函谷関の戦いで敗退する。以降、楚・考烈王は春申君を疎んじるようになる。
紀元前238
楚・考烈王が病死し、葬儀に向かう途中、棘門で待ち伏せしていた李園の刺客に殺害され、一族郎党皆殺しになる。
食客の一人の李園は、自身の妹を春申君の側女としあてがい、身籠ると、考烈王に嗣子がいないことに付け込んで、妹を王の側室に献上するように勧めた。この策に従い、生まれた子が太子となり、後に即位して幽王となった。李園は事の露見を恐れて、春申君の命を狙ったとされている。
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