(こふくきしゃ)

趙・武霊王が行った軍事改革。趙は領土の北側が遊牧民族の生活圏と接し、常に襲撃を受け続ける環境にあったが、その相手の風習に学び強力な軍隊をつくる方法を考え、「胡服令」として発令した。

胡服とは、当時の北方の遊牧民族が着用していた衣服のことで、馬にまたがって戦うのに適した工夫がされていた。趙・武霊王はこの胡服を取り入れることによって、遊牧民族と同じように機動力のある弓騎兵の部隊の編成(胡服騎射)を目指した。

当時、蛮族と蔑まれていた遊牧民族の服装を取り入れることに叔父の公子成らから抵抗があったが、反対に対して粘り強く説得し、改革を成功させる。この軍事改革は趙の軍事力を急激に成長させ、紀元前296年には隣国の中山国を攻略して領土の拡大に成功する。

項目従来変更
兵種馬2~4頭に引かせた二輪の馬車(戦車)に御者と兵士2人が乗る騎手1人が馬1頭に騎乗
戦闘方法二輪車に乗り込んだ兵士が戈や弓を使って接近戦と遠距離戦の両方をこなす馬上から弓を放つ遠距離戦を中心に、馬の機動力を生かした戦法をとることができる
服装袖が広く下部がスカート上になったゆったりとしたワンピース・トップスとボトムスに分かれる
(騎乗しやすい)
・トップスの袖が広がらない
(武器が扱いやすい)
・襟が左前
(左手で弓を、右手で矢をつかえる)