(ようり)
呉王・僚の息子である公孫慶忌を暗殺した刺客。
呉の公子光は、呉王・僚を殺害して闔閭となるが、この前王の息子である公孫慶忌が復讐を図っているのを知ると、これを暗殺しようと試みる。しかし、公孫慶忌は豪傑で、傷一つ付けられないでいた。
このような状況で、伍子胥によって要離が推挙される。しかし、呉王・闔閭は体が小さく、線の細い要離に不安に思っていると、「王の助けがあるなら公孫慶忌を殺害することができる」と要離が提案する。その内容は、自分が罪を負ったと偽り、右腕を切り、妻子を殺せば、出奔して公孫慶忌の元に走っても、信用し臣として登用するだろというものであった。
この覚悟に、呉王・闔閭は同意し、要離が呉都を離れると、要離の妻子を捕縛し、市で焼き棄て、このことは冤罪であると広く諸侯に広めた。計画とおりに要離は衛にいる公孫慶忌に謁見し、呉王・闔閭の無道を訴え、呉を討つことを提案することで信用を得る。
兵の調練を終えた公孫慶忌は呉に向かうが、長江の中腹に差し掛かったところで、隙をみせたところ、追い風に乗って飛び込んできた要離の矛に体を貫かれ、殺害されるのであった。この時、要離は矛が刺さったままの公孫慶忌に頭を掴まれ水の中に3回沈めるものの殺さず、笑いながら「彼は天下の勇士である。一日に天下の勇士を二人も殺してはならない。彼を呉に帰らせて、その忠を表彰させるべきだ」と言い、要離を殺さなかった。
呉王・闔閭の元に戻り、公孫慶忌の殺害を報告したのち、「私は自分の妻子を殺して我が君に仕えた。これは非仁である。新君(闔廬)のために故君(僚)の子を殺した。これは非義である。士とは死を重んじて不義を貴ばないものであるが、私は命を惜しんで正しい行いを棄てた。これは非義である。三悪がありながらこの世に生きて、どうして天下の士と顔を会わせることができるだろうか」と述べ、自害する。