(きんこつり)
墨家の開祖・墨翟の死後、二代目の指導者となる。
孔子の弟子である子夏の門徒であった。「未だ儒によって事を成す術を知らず」と魏を去り、楚に行き、墨翟と出会い、師事する。墨翟が宋の士大夫になると、ともに宋に移る。
紀元前439
宋が楚軍に包囲されたときに、墨翟の命を受けて、300人の門徒と共に宋の城の守備に就く。
楚は宋侵攻のために堅牢な要塞の城壁も容易に越えることができる雲梯を発明し攻めてくるが、事前に墨翟から次のような対策を授けられていたので禽滑厘らはこれを恐れなかった。
- 城壁の上から火矢や石、薪木、熱湯などを落とす
- 敵が来る方向に祭壇を築き、神霊を迎える
- 北の国の斉から老齢の者を呼び寄せて主催を任せ、巫師に祈りをさせる
紀元前390頃
墨翟の死後、墨家は東方・南方・西方の三学派に分裂し、東方の指導者となり、他の学派と対立する。