(うつりょう) 

武経七書の一つ兵法書「尉繚子」の執筆者。人物については次のように諸説あり、判別しがたいとされている。

  • 斉の人で、鬼谷子の門徒であった。
  • 魏の人で、恵王に仕えていた。(尉繚子)
  • 魏の人で、商鞅の学問を学んだ後、秦王・嬴政に仕えて、対秦包囲網を破る策を上申するも、秦王・嬴政の残忍さを危惧して去ろうとするが、懇願によってそのまま秦の将軍になった。(史記)