(ちょうへいのたたかい)

  • 紀元前262年4月 ~ 紀元前260年7月
  • 長平で秦軍と趙軍が争い、秦軍が大勝

白起が韓への進攻で野王の地を取り、韓の上党郡を本国から孤立させる。そこで、上党郡の郡主は趙への帰属を願い、趙がこれを受け入れる。これをきっかけに秦と趙の戦いへと発展する。

王齕を主将とする秦軍と廉頗が率いる趙軍が対峙するが、名将と名高い廉頗は塁壁を築いて守りを固め、戦いは膠着状態となり、両軍のにらみ合いは2年にもおよぶようになる。

決戦に持ち込みたい秦軍は廉頗を罷免させるべく、趙に間者を送り、「秦は名将・趙奢の息子である趙括を恐れている」という噂を流す。趙・孝成王はこの噂に騙されて、廉頗に代えて趙括を主将にしてしまう。

一方、秦は白起を上将軍として送り、王齕を副将とする。

ついに両軍が衝突し、次のような展開で、趙軍は大敗して降伏する。白起は趙兵40万をことごとく生き埋めにするのである。

両軍衝突するが、白起はすぐに兵を引いて敗走しているように見せかけた。

秦軍は伏兵を趙軍の背後に回り込ませて分断する。

趙括は退路を断たれて孤立する。

追い込まれた趙括は突撃をかけるが、あえなく戦死する。

趙軍を大敗させた白起は趙都・邯鄲に攻めかかろうとしていて、趙は滅亡の目前であった。しかし、この武勲を恐れた秦の丞相・范雎は兵の疲労を理由に講和を進言し、秦・昭襄王は受け入れ、白起に撤退を命じる。